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水天宮

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御朱印 - 水天宮
由緒:
水天宮の発祥は九州の久留米藩(現在の福岡県久留米市)です。9代目久留米藩主の有馬頼徳が、1818年、自家で祀っていた水天宮を三田赤羽の上屋敷に分祀したのが、東京の水天宮の始まりです

■水天宮を江戸へ勧請(かんじょう)
敬神の念は代々の当主に受け継がれ、文政元年(1818)、第九代藩主有馬頼徳公は、参勤交代の折に江戸で水天宮を親しくお参りできるよう、芝赤羽根橋の上屋敷内へ国元久留米より御分霊を勧請致しました。
爾来、水天宮は当主と共にあり、明治4年には青山、翌5年には日本橋蛎殻町へと移転致しました。
その後、関東大震災をはじめ数多の苦難を乗り越え、現在に至っております。
「情け有馬の水天宮」~深い温情~  文政元年、久留米藩有馬家上屋敷内に祀られていた水天宮は、人々の信仰が篤く、塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶ちませんでした。時の藩主は毎月5日に限り、お屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。
そのことから有馬家と「情け深い」ことを掛けて、「なさけありまの水天宮」という洒落が江戸っ子たちの流行語となりました。​「湯も水も火の見も有馬の名が高し」~日本一と称された火の見櫓~  幕府により大名火消しを命ぜられた第八代藩主・有馬頼貴(よりたか)公は当時としては異例の高さである三丈(約9m)にも及ぶ火の見櫓を組みました。
有馬温泉・水天宮・火の見櫓を掛けて「湯も水も火の見も有馬の名が高し」という言葉がうまれました。

■江戸鎮座200年記念奉祝祭
水天宮が、文政元年に久留米藩江戸上屋敷に鎮座してから200年となりました。久留米藩有馬家の邸内社としてお祀りしていた頃から、身分の隔たりなく多くの江戸の町民に親しまれ、明治5年に現在の場所に遷座してからも、ますます信仰は深く、首都圏外、全国各地からの参拝者も増えていきました。そして平成28年には約3年間のご造替事業が竣工し、免震構造を備えた安全な神社へと生まれ変わりました。

200年の長きにわたるその広大無辺のご神徳に感謝を込めて節目の年をお祝いし、平成30年5月3日に奉祝祭を斎行いたしました。

■社殿および参集殿の御造替
江戸鎮座200年記念事業といたしまして、約三年をかけて社殿と参集殿の御造替を行いました。平成28年4月より新しい社殿にて皆様をお迎えしております。
神社建築様式の社殿と現代建築を取り入れた参集殿は、高度な意匠によって融和し、時代に即した神社へと一新しました。そして境内地一面には、最新技術の免震構造を取り入れると共に待合室の環境改善も行いました。




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