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以應山 醍醐寺

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御朱印 - 以應山 醍醐寺
由緒:
-- 西山浄土宗とは
今からおよそ850年前に宗祖法然上人(ほうねんしょうにん)が開かれた浄土宗の嫡流で、法然上人の弟子である流祖西山上人の信仰を継承する宗派です。

その教えは浄土三部経に基づき、『観無量寿経』に説かれる念佛往生の教えを疑う事無く、阿弥陀佛が用意して下さった念佛『南無阿弥陀佛』によって阿弥陀佛の大悲願力に帰命し、念佛の歓びに生きがいのある人生を開く事を旨とします。

帰命(きみょう)・・身命を投げ出して佛の教えに従う事

-- 往生について
一般的に往生とは死後の浄土に生まれる事で、現生には関係の無いことのように考えられていますが、浄土宗のいう阿弥陀佛の極楽に生まれる往生とは永遠の生を得させていただく救いを意味します。

西山浄土宗では即便往生※¹(平生)と当得往生※²(臨終)の二つで説明し、即便、当得は一つの往生と考え、往生は死後に始まるのではなく、平生から始まるとされています。

念佛三昧を往生の体と心得るほかに臨終を置くべからず。また来迎※³を置くべからず。《述誠》※⁴

と示されているように、念佛即往生、往生即念佛と、もとより生死を超えた永遠の救いの中で現生における意義に焦点が絞られています。


※¹・・即便往生(そくべんおうじょう)
※²・・当得往生(とうとくおうじょう)
※³・・来迎(らいこう)・・仏がこの世に降りてくること
※⁴・・述誠(じゅつじょう)

-- 西山上人
流祖西山上人善慧房證空※¹は治承元年(1177)11月7日、久我※²一門、源親季※³の長子として誕生。

9歳にして宗家久我通親※⁴の猶子※⁵となり、14歳の春に自らすすんで法然上人の室(しつ)に入る。

数少ない内弟子の一人として常随給仕し、建久元年(1198)師上人の「選択本願念佛集」※⁶選集に際しては、22歳の若さで勘文※⁷の役を務められた。後年法然上人の法難配流の際には京において孤塁浄土教を守る。

法然上人滅後、建保元年(1213)に西山善峯※⁸の北ノ尾往生院に移り、以後
ここを拠点として『自筆之鈔』の講述など、研鑚と教化に専念。



宝治元年(1247)11月26日寂 71歳
廟所は京都市左京区 三鈷寺・観念三昧院華台廟
寛政8年(1796)8月 鑑知国師の諡号を賜る
画像:西山上人像(醍醐寺所蔵)

※¹・・善慧房證空(ぜんねぼうしょうくう) ※²・・久我(こが) ※³・・源親季(みなもとのちかすえ)
※⁴・・久我通親(こが みちちか) ※⁵・・猶子(ゆうし) ※⁶・・選択本願念佛集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)
※⁷・・勘文(かんもん)【師の諮問に応じ、経典や注釈書を精査して、正確な典拠を抽出する役割
※⁸・・善峯(よしみね)


-- 念佛について
西山浄土宗では、ただ単に『南無阿弥陀佛』をお称えする事で阿弥陀佛の効験を期待することは奨めていません。

西山上人のお言葉に

念佛といふは佛を念ずるなり、佛を念ずるといふはその佛の因縁を知りて、その功徳を念ずるを誠の念佛とはいふなり『女院御書』※¹

と示されるように、念佛はお称えするだけで無く、阿弥陀佛が自らの成佛をかけて衆生救済の本願を成就された云われを理解し、自らもまたその救いの中にあるのだと云う大悲願力を領解する体験(安心※²)が第一とされ、その歓びに発する『南無阿弥陀佛』の念佛や礼拝、常に阿弥陀佛を想う三業※³(起行)が念佛に含まれます。

その為、阿弥陀佛が私をお救い下さると言う領解※⁴を抜きにして真の念佛とは言えません。

念佛について

※¹・・女院御書(にょいんごしょ)
※²・・安心(あんじん)
※³・・三業(ふるまい)
※⁴・・領解(りょうげ)・・理解すること、真理に達すること





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