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峯ヶ岡八幡神社

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御朱印 - 峯ヶ岡八幡神社
由緒:
御由緒
峯ヶ岡八幡神社の由緒は、縁起によるとふたつの説があります。
一説は、平安時代、源氏の人々によって開創されたとするものです。
江戸時代後期の弘化四年(1847)八月に別当寺である新光寺第十四世堯源が記した「谷古田八幡宮略縁起」によると、平安時代中期の天慶年中(938~946)、平将門が下総国岩井(茨城県坂東市)に拠って乱を起こした時、六孫王源経基が将門追討の勅命を受けて、武蔵国においてたびたび合戦、軍中において奇瑞霊夢を受けてついに将門を滅ぼしました。その折、霊夢の告によりこの地に新たに八幡宮の一社を造建したのが谷古田八幡宮である(現・峯ヶ岡八幡神社)といわれています。

二説目は、平安時代初期に慈覚大師円仁によって開創されたというものです。
江戸時代中期の安永二年(1773)正月に権僧極楽坊覚胤の記した「如法経縁起并八幡宮縁起」によると、八幡宮に祀られている仲哀天皇の皇后である神功皇后は、ある時夢ともなく現(うつつ)ともなく日輪が口に入るのを覚えて身ごもりました。皇后は懐胎の身でありながら新羅を征討、筑紫に帰陣しました。その時、青天に白旗四流赤旗四流が翻翩(へんぺん)として降り、皇子が誕生、八幡丸尊(はちまんまるのみこと)と名づけられたのが応神天皇です。故に応神天皇がすなわち正八幡宮とされています。その御神体は慈覚大師の手彫りの僧形八幡像であるといわれ、弘仁8年(817)に造立し、開創されたともいわれております。

史実においては、峯ヶ岡八幡神社は鎌倉時代に鎌倉の鶴岡八幡宮の社領であった矢古宇郷(現在の川口市東部から草加市西部に広がる一帯で天慶年間の谷古田領の地域と考えられる)に勧請された八幡宮です。
下記の古文書、関東下知状(鎌倉幕府の命令書及び裁許状)によれば、鎌倉時代の承久三年(1221)八月二日、「陸奥守平」、すなわち時の執権、北条義時が、承久の乱の戦勝を祝して武蔵国矢古宇郷を鎌倉の鶴岡八幡宮の社領と認めた書状です。
また、鎌倉時代の事績を記した歴史書「吾妻鑑」の承久三年八月七日の条には、鎌倉幕府が鶴岡八幡宮に矢古宇郷50余町を管理する郷司職を認め、郷司としての特権とそれに伴う得分とを与えている記事があります。以上によって、矢古宇郷が鶴岡八幡宮の社領となった承久の頃、峯ヶ岡八幡宮は分社されたものと考えられます。





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