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八條八幡神社

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御朱印 - 八條八幡神社
由緒:
由緒
八幡神社<八潮市八条四〇六九(八条字堤外)>
八条の地は、中世の八条郷に比定される。『吾妻鏡』建暦三年(一二一三)五月十七日条によると、「武蔵国大河戸御厨内八条郷」が式部大夫重清に与えられ、地頭職は渋江光衝に安堵されている。光衝は野与党渋江経光の子息光平とみられ、八条を本貴地として八条五郎光平を称したという。八条氏は当社の南方にある会田家の屋敷の辺りに居館を構えていたとみられ、一五世紀中ごろまで当地とかかわりをもっていたと推測されている。また、当地には八粂上杉氏が居住したと伝えられており、近世の文献には扇谷上杉朝顕は「武蔵国崎玉郡八条の里に住しつれハ、世に八条の上杉と称せしか」(玉石雑誌)、朝顕の孫八条満定は「居城武蔵、葛飾郡八条」(応永武鑑)、満定の甥房繁は馬術八条流の流派を享禄年中(一五二八-三二)に起こした(「上杉系図」続群書類従)とみえる。
当社は、社伝によると、宝徳元年(一四四九)に山城国(京都)の男山八幡宮から八幡大神を、岩槻の久伊豆神社から久伊豆大神を、大宮氷川神社から氷川大神を勧請して併せ祀ったのが始まりである。また、棟札にょれば、承応二年(一六五三)に本殿を再建した。正徳二年(一七一二)の「神位願一件」(会田家文書)によれば、清蔵院と名主組頭らが相談して、一五年かけて宗源宣旨を受けるための御位金を積み立て、正徳二年に伊奈半左衛門代宮所の添状の交付を依頼し、この添状と共に神祇管領吉田家べ願書を提出した。その中に「一、三神之本地ハ八幡之本地ハ弥陀、氷川大明神之本地ハ如意輪観音、久伊豆大明神之本地ハ十一両観音二御座候」「一、御幣ハ正月元朝二三神へ各々壱本ヅ、進上いたし来り申侯、亦九月十五日之祭礼之時、亦如右、三神へ各々壱本宛進シ申候」「一、祭礼ハ年二壱度宛九月十五日いたし来り申侯、備物御幣三神へ各壱本宛井、御神酒進上いたし来り申侯」などの文面がみえ、三神共に丁重に祀っていたごとがわかる。同年十一月二十八日付で三神に対して宗源宣旨が出された。
『風土記稿』八条村の項には「氷川久伊豆八幡合社、村の鎮守とす、清蔵院持なり、末社、弁天、天裡、稲荷」とあり、更に別当の清蔵院は「白幡山と号す、本尊大日を置、此寺もと村民五左衛門が屋敷内にありし庵なりしを、後に一寺となせり」とある。これに見える村民五左衛門は会田家を指す。清蔵院は当社の境内東側の辺りにあった。
当社は明治初年に村社となり、同四十年には幸之宮の久伊豆神社・和之村の第六天神社・中島の稲荷神社・入谷の天神社、同四十二年には和之村の浅間神社・入谷の八条神社が合祀され、更に大正元年には中島の厳島神社が合祀された。入谷の八条神社は八条上杉氏を祀る社で、社家であった新井家は紙本着色八条房繁像(掛幅)を所蔵する。(「埼玉の神社」より)




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