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大念佛寺

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御朱印 - 大念佛寺
由緒:
■ 融通のこころ
融通念佛の融通とはどんな意味でしょうか。これは字が示すように、融とは融(と)けること、通とは隔てなく通い合うことです。

すべてのものは、すがた【相(そう)】も、はたらき【用(ゆう)】も異なります。たとえばセメントと砂と水の三者はそれぞれすがたもはたらきも異なります。しかしこれを適度に混ぜ合わせることによってみごとにその個性を生かし合ってコンクリートという強固なものになります。また一室に灯された百個の電灯は、それぞれの光を放ちあい一定の照明となり、お互いに通じて碍(さわ)りのない世界を創りだしています。それぞれが自分の力とはたらきを出し合って、調和のとれた世界を現出しています。これが融通です。

みな融け合って大きな力とはなりますが、だからといって一つ一つの個性は決して失われるものではありません。やはり一つ一つの灯火は確実にその光を輝かせて個性の尊厳に光っています。これは全体【一切(いっさい)】の中の個(一)の大切さをいったものです。一と一切との関係は相依(あいよ)り相扶(あいたす)け合って存在するのです。

融通念佛とは念仏を修することによって、人と人、人と物、物と物とのすべての関係の上に融通和合(ゆうずうわごう)の世界を自覚し、苦悩と迷いのこの世界を喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にすることを目指した教えです

■ 国産第一号の宗派
日本仏教の宗派は古来、13宗56派と称していました。戦後、多くの宗教法人が分派独立したり、新たに開立したりして今ではその数も160程になっています。しかしその教義及び歴史と伝統の上に立ってみると13宗がその根本であることに変わりありません。

融通念佛宗は古くから“大念佛宗”又は“融通大念佛宗”と呼ばれ親しまれてきました。日本仏教13宗のうちで成立順にみると第6番目になります。天台宗、真言宗に次いで平安時代後期に成立した古い歴史を持つ宗派です。鎌倉時代になると、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など相次いで成立しましたが、融通念佛宗はその先駆けをなしたもので国産仏教第一の宗派といえるのです。なぜならそれまでの宗派は三国伝来といってインド、中国または朝鮮を経てわが国に伝えられた、いわば輸入仏教であったからです。それでは融通念佛宗についてその概要を説明しましょう。

■ 法燈の中断と法明上人の出現
その後、良忍上人の後継者がこの念仏の勧進をますます盛んにしていきましたが、大念佛寺に伝わる宗門の法燈(血脈ともいう)は、第六世良鎮上人が寿永元年(1182)に没して後、良き後継者に恵まれなかったため、元亨元年(1321)まで139年間中断することになりました。その間、融通念仏の法儀、宗要の密意、霊宝の悉くは石清水八幡宮の男山の社殿に蔵されました。

宗門の法燈が中断したとはいえ融通念仏の法流は別のルートを経て各地に伝播することになったのです。嵯峨清涼寺、花園法金剛院、壬生地蔵寺などで融通念仏が盛んに修せられるとともに、聖と呼ばれる遊行性をもった僧が各地で念仏勧進に励みました。東大寺叡尊、円覚十万上人道御、一遍智真は融通念仏の普及に最も尽力した聖達でした。また民間信仰や芸能と結びつき、日本全国に広まっていったのです。

宗門の法燈が消えていた鎌倉時代において法然上人、親鸞上人、日蓮上人等が出て、新仏教が開花しましたが、その中にあって融通念仏はその庶民性と寛容性とによって各地に力強く浸透していったのです。

融通念仏がいわゆる傍系において盛行を見ていた折しも、高野聖として活躍していた深江の法明上人が宗門の法燈を継承することになります。

■ 声明のはじまり
京都洛北に「声明」の里と愛称されている景勝地があります。三千院で知られる大原の里です。三千院山門南側の呂川(りょせん)に沿って遡ると浄蓮華院(じょうれんげいん)、来迎院(らいごういん)が姿を現わし、まわりの環境に溶け込んで閑静なたたずまいを見せます。この辺り一帯は中国声明の聖地「魚山(ぎょざん)」(山東省泰安府)に因み、魚山と呼ばれ日本声明の発祥の地とされています。




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