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天石門別八倉比賣神社

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御朱印 - 天石門別八倉比賣神社
由緒:
古の天地の初めの時、高天原に現れた神の名を天之御中主神(アメノミナカヌシ)という。

次に国が浮いた脂のように漂っているときに、葦の芽が生えるように生まれた神を國常立尊(クニノトコタチ)という。
その後 生まれた神に伊邪那岐神(イザナギ)次に妹の伊邪那美神(イザナミ)がおり、この二柱の神によって国土や海原、および山川や諸々の神が産み出された後、伊邪那岐神が左の目を洗った時に生まれた神の名を日靈大神(ひるめのおおかみ)といい、またの名を八倉乃日靈大神(やくらのひめおおかみ)という。

最初に高天原で戦に備えた後、天石門別(あまのいわとわけ)の神に勅命を発して「今後、汝らは吾(われ)に代わって戦に備えよ。そして、汝らはこの『羽々矢』(はばや)と『御弓』を葦原中國(あしはらのなかつくに)に持って降り、良い場所に奉蔵せよ」と申された。また、吾(八倉乃日靈大神)も天降り、「『天羽々矢』(あめのはばや)と『天麻迦胡弓』(あめのまかこゆみ)を納めるのに相応しい場所である」と申された。

よって、二柱の神が高天原より弓矢を持って降りた。その時、二柱の神は天の中ほどに立ち「この矢の止まった所に奉蔵しよう」と言って矢を放った。その矢が落ちた場所を「矢達の丘」という(今は「矢陀羅尾」という)。

そして二柱の神は、この地に矢が落ちた事を覚えておくために「矢乃野」(やのの)と名付けて、その矢を奉蔵した倉を「矢乃御倉」(やのみくら)と呼んだ。また、その弓を奉蔵した地を「弓乃御倉」(ゆみのみくら)という。

そして、二柱の神(松熊二神:手力男命と天宇受女命)はその後も此処に留り、御矢倉を御弓を守り続けた。
その後、比賣大神(八倉乃日靈大神)は天の八重雲を押し分け、伊津乃路(いつのち)を別けて天降った。最初は杉の小川の清き流れを見て「この川は深くて流れが早い」と申された。そのため、此処を「早渕の村」という。

このとき、大地主神(土宮)と木股神(御井神)が参上し、この河の魚を漁って献上した。すると、太神(八倉乃日靈大神)は「鰭(はた)の狭物と言うべき食物である」と申されたので、その河を「鮎喰川」という。

また、このとき(八倉乃日靈大神は)大地主(おおくにぬし)と木股神(きまたがみ)に「吾(われ)が住むのに相応しい場所に、汝らが案内せよ」と勅命を下すと、大地主神が答えて「ここより西方に朝日の真っ直ぐに刺し、夕日の日が照る気延の嶺があります。その地に先導しましょう」と申した。

すると、伊魔離神(いまりのかみ)という神が現れて、昼間に野で採れた五百の野薦(敷物?)や八十玉籖(玉串)など様々なものを献上した。それから、西方の杉の小山の麓に辿り着くと、天石門別が出迎えをした。
そこで、大神(八倉乃日靈大神)が「汝らは吾の言う通りにして待っていたのか?」と問うと、「はい、ここが神宣の通り御矢を納めた所でございます」と答えた。それを聞いた大神は褒辞を与えて、そこで一晩過ごした(このため「矢倉の郷」または「屋度利の社」という)。

なお、山坂を登って杉の小山を通って気延山に到ると、広浜神(ひろはまのかみ)が現れて時節の御衣を献上した。そのため、此処を「御衣足」(みぞたり)という。

ただちに気延の嶺の下津磐根(しもついわね)に宮柱と廣敷を立て、高天原を装って天上のように鎮座した(なお、「天石門」(あまのいわと)を押し開くため「天石門別」(あまのいわとわけ)という。八倉の郷に居る姫御神であるために「八倉比売」(やくらひめ)という)。

この夜、八百萬(やおよろず)の神々は集って宴(天エラキ楽?)を行った。その神々の集った所を「喜多志嶺」(きたしみね)という。また、その宴(嘘楽)に使った色々な物を納めた所を「加久志の谷」(かくしのたに)という。
そこで大神は「雲の居る 八倉の郷の 喜延山 下津岩根に 宮井そめとも」と歌を詠んだ。

その後、大泉神(おおいずみのかみ)が「天の真名井の水を玉の碗に汲み移させて、朝夕の食事を炊く水とする。また、小泉神田口の御田を献上して『御饌の御田(みけのみた)』とする。気延山は大日靈貴神の坐す所であるため『神山』とする」と勅命を発した。

これより後、二千百五年(2105)を経た小治田御宇元年龝八月(推古元年秋8月)に、大神(八倉乃日靈大神)は毛原美曽持(けはらみそもち)に託して曰く「吾(われ)の宮のある場所は遥か高く急峻である。このため、神主や祝部、巫(みこ)などが参詣するのに疲れてしまうだろう。杉の小山(杉尾山)は高くもなく、低くもなく、遠くもなく、近くもない、正に良い場所である。そのため、この嶺に遷座することにしよう。吾(われ)は以前、天より持ってきた瑞の赤珠(みずのあかたま)の印璽(しるし)を、杉の小山の嶺に深く埋めて、天の赭(あめのあかつち)で覆い納めた。その赭(あかつち)は、諸々の邪鬼、妖怪および諸々の者に『これは病も厭う奇妙なる験(しるし)である』と教え諭してある。」と申された。

赭(あかつち)の印璽と言って秘し崇め奉ったのはこれである。その印璽(みしるし)を埋めた所を「印璽の嶺」(しるしのみね)という(また「御石ノ峯」ともいう)。

このとき、神主や祝部らは大神の託した通りに遷座して奉ったという。しかし、神主らが「諸々の人々は、これを信じないだろう」と言うと、大神も「そうであろう」と申された。そして大神(八倉乃日靈大神)は「吾(われ)が御前の谷の水を逆に山の頂きから漑いで御田を作ろう、それを以って宮の食糧とせよ」と勅命を下した。
すると、一夜にして谷の水は逆流し、山の頭(いただき)に至った。そして田の穂はすぐに成熟し、その穂は八束に実って良い稲であった(その谷を「左迦志麿谷」(さかしまだに)といい、その田を「志留志田」(しるしだ)という)。そのため、神主や祝部、および多くの若者は、その神宣が事実であったことに畏怖・畏敬を念を抱いたという。
遷座したのは九月十三日である、よって、この日を以って御霊の現れし日として奉るのである。云々





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