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國束寺(国束寺)

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御朱印 - 國束寺(国束寺)
由緒:
御由緒
國束寺は、今からおよそ1400年前、聖徳太子様が皇大神宮の神勅に従い開かれました。その神勅とは伊勢神宮の西にある国束山山頂に十一面観音像を安置し、国土安穏を祈念せよとのことで、この寺は護国の寺、国家安泰を祈願する寺として始まりました。

その後、聖武天皇や嵯峨天皇、またこの地域の国司であった北畠氏による篤いご信仰により、山内に六院百三十二坊を有する大寺院に発展し、弘法大師空海がこの地を訪れた際にはこの山を『胎蔵界曼荼羅の山』と称嘆なされたと伝えられております。

北畠国永「年代和歌抄」には禅也法師の歌が残されております

『寺のなも 國を束ぬる山なれば 代々にし高く 仰がざらめや』  
平安~鎌倉~室町期には密教の一大修行道場として発展した国束寺でありましたが、戦国時代、織田の伊勢攻めにより山内の堂塔伽藍は全て灰燼とされてしまいます。

江戸時代になるとこの地域を治めた藤堂高虎公や紀州徳川藩の帰依により寺領を賜り、延宝2年(1674)紀州藩二代目藩主徳川光貞公により観音堂と荒神堂が再建され、國束寺が再興しました。民衆からも『くづかさん』と親しまれ、山麓の人々から信仰されました。その時の住職である見明上人を國束寺中興の祖師とし、現住職信順で十七代目を数えます。

天保五年(1835)に中興第十世覚雄上人が書かれた『勢州田丸領涌福智山國束寺一山惣絵図』(國束寺蔵)はその当時の国束寺の様子が偲ばれます。

また当時の茶人金森得水が、国束山にて次のような歌を詠まれました。

『遠近(おちこち)の人も くづかのやまざくら 御法(みのり)の花の おくをたづねて』
明治時代の神仏分離令(廃仏毀釈)では民衆の信心により乗り越えれましたが、昭和22年、GHQの農地改革により、賜っていた寺領すべてがなくなり、山頂での寺院運営が困難であると判断し、昭和28年(1952)本尊と観音堂、聖天堂は戦災で伽藍を失った大阪四天王寺へ移築。その他のお堂や建物は、国束山南麓の現在地に移築。四天王寺から代わりとして譲られた十一面観音立像を本尊として現在にいたっております。また当寺は戦後まで天台宗に属しておりましたが、現在は四天王寺の末寺となって寺院を維持しております。

ちなみに四天王寺に移築した建物は、観音堂は阿弥陀堂に、聖天堂は納骨堂、それぞれ名をかえて四天王寺境内に現存し、本尊は大阪歴史博物館に保管されているとの事です。




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